2016年2月17日水曜日

放棄 「語り得ること」と「語り得ぬこと」への態度が、科学とオカルトの違い。

「語り得ること」と「語り得ぬこと」への態度が、科学とオカルトを分別する境になるなら、


オカルトは「語り得ぬこと」を断定でショートカットし、
全体風景の見えないはずの枠組みを得てから構図を語り始める。

科学は「語り得ること」の範囲から、全体風景の構図を覗きこもうとするもの。
視野の外側でなにが起きているかわからないを受け入れる。

量子力学の一派が、月を見ていないとき、
月を認知していない観察者は、その瞬間の月存在の有無を語れないを
態度として受け入れる。


これをもう少し厳密にしてみましょう。

月が見えたからと言って、現時刻に月が存在しているかは、わからない。

オリオン座のベテルギウスが、今夜、地球から観察(観測)されても、
同時刻に、ベテルギウスが存在しているかどうかわからない。
すでに超新星爆発した後かもしれない。



観察者の視線方向に隷属しない月存在そのものと、
観察者の視線方向正面に見える、月輪郭イメージを分離。

「語り得ること」だけを語る態度。



いないないばー、peek a boo をすると、
幼児は母親の存在が視界から消えたと、
存在有無を区別しないのか、

それとも別の理由でか、で、泣き出します。

私は幼児ではないので、すでに幼児の気分はわからない。
「語り得ぬこと」として、扱う。

何度か母親が顔を見せるを繰り返すと、慣れてなのか、
泣き出すのをやめる。


もう少し成長すると、

視界から見えなくなったものでも、
糸巻きを投げることで、糸を手繰り寄せれば、
ソファの裏側に廻り込んだ糸巻きが再び見えるようになる。

フロイトの子供の観察。


私は、この子供と同じなので、見えなくなったからといって、
対象の存在が消えるわけないという常識世界の住人。


しかし物理学なら、対象の存在は、見える見えないだけではなく、
見えたもの、発生した現象の位置と時刻。(光源位置に相当)

これを事象発生時刻と呼称し、現象存在とする。


見えたという体験を、事象摂取時刻と定義しましょう。



現象そのものの存在と、そのイメージを情報として受け取った時間差。
情報遅延をアインシュタインの思考実験に組み込み、

一定時間、等速直線運動する列車を観察するに十分な線路長さの用意。
最低でも、1秒前から1秒後の列車側面を観察したいので、

列車速度x2と列車全長を包摂するだけの線路長さを用意する。

列車全長が0で、列車速度が光速Cなら、「2C長さ」の線路。
列車全長が2C長さで、列車速度がVなら、「2C+2V長さ」の線路。






ローレンツ変換のローレンツが、線路上を走っている列車は縮むとか、
縮んで見えるとか言ってますが、取り敢えず、そのことは無視して、

必要な観察範囲を、列車が進行方向に縮まない状態でも
観察に支障がでない、十分な長さの線路を用意。

己の予想に縛られないなら、列車が進行方向に伸びるかも、の、
予測外をも実験観察に組み込みたいのですが、ま、予算を考えて省略。



アインシュタインの同時性破綻有無を検証する思考実験でも、
線路自体は動いていないので、線路に注目。


線路自体が動いていると仮定して実験解釈した
マイケルソン&モーリーが見過ごした、別レベルのトリックは、
いまは論じません。






眼を瞑ってください。

数学者なら眼を閉じても、数直線上を走る列車がイメージできる。

しかし、実験物理学者なら3次元空間内の1点にカメラアイを置いて、
特殊相対性理論(仮説)で同時性破綻が本当にあるのか、
確認すべきだ。


もちろん実際に実験する必要は、ありません。

ちゃんと思考実験すればいい。

観察者であり観測者でもある、時計内蔵カメラアイを使って。



3次元空間の1点から線分線路を観察する。

有限区間の線路の左端を博多駅と呼称し
中央を京都駅と呼称、
右端を東京駅と呼称。



直線上の区間である線分線路。
実験範囲となる有限線分。


線分線路を三角形の底辺とし、
残る三角形の角にカメラアイを設置。

線分線路を観察し映像として撮影。

線分線路の枕木すべてに埋め込んだ時計群の時刻表示を撮影する。

























あああああああああああああああああああああああああああああ

以下、捨て文


観察者を、月の輪郭を見るものと定義します。
三日月だったり、満月だったり、形イメージを区別するものが、観察者。

フレーム内に形が入っていないと、
月表面にある小さなクレーター範囲だけを地球から観察しても、
現時刻の地球上の1地点から



観測者問題の観測者を、ある時刻の観察者の視線方向を記録する
タイムキーパー記録係とします。

観察者と観測者の身体(実験器具)を同一のものとし、
特殊相対性理論のトリック発生源である相対性を排除して、

相対性を論ずる前の、月の輪郭が見えるとはどういうことか。

に、注目します。








ローレンツ変換のローレンツや、アインシュタイン等が見過ごした、

見過ごされた前提条件。



それでは、質問です。